猫鼠男の気まぐれ

 今からおよそ200年前、世界最大の都市といわれた江戸の町で、互いに気持ちよく暮らすために生まれた「江戸しぐさ」は、言葉遣いをとても大事にしていました。もともとが商人のしぐさなので、どんな身分の方にも失礼がなく快い言葉遣いを大切にしています。感情を逆なでするような言葉遣いは、心を乱し、いじめや争いごとをまねくため、やってはいけないしぐさとされていたのです。

 江戸しぐさは生活哲学。その会話術も、今の時代に通用するものばかりです。

■戸閉め言葉

 「でも」「だって」「しかし」「べつに」「そうは言っても」などと否定して、人の話を途中で遮ったり無視するような言葉で相手をシャットアウトしてしまうことから「戸閉め言葉」といいます。

 人の話を最後まで聞かないことは失礼にあたり、謙虚さを大事にする江戸しぐさでは、自己中心的な人とみなされたそうです。

 また、自分の話を聞いてくれない人を本能的に避けてしまうため、「戸締め言葉」は相手の言葉を受け入れないばかりか、相手の心を閉ざしてしまう言葉なのです。

■水かけ言葉

 人が気持ちよく話をしているのに、「それがどうした?」と冷や水をかけるような冷たい言葉や、「そんなこと知ってるよ」と小馬鹿にしたり、けなすような言葉を「水かけ言葉」といいます。

 誰とも付き合わずに暮らしていくことはできませんから、話の腰を折り、人間関係を壊すようなことは慎むべきで、たとえ自分とは縁遠い話題であっても、その場の雰囲気を壊さず聞いているのが、江戸の人々の心得とされていました。

■刺し言葉

 「刺し言葉」とは、「だから?」「はーっ?」など、会話を断ち切ってしまうような言い方で人の感情を逆なでしたり、とげとげしい言葉遣いのことで、「胸刺し言葉」ともいいます。こうした言葉が出てくると、会話を続けたいという気持ちもうせてしまうでしょう。

 また、「あなたが悪い!」「どうせ他人」のような、反論の余地もないような断定的な言い方も「刺し言葉」とされ、その場の雰囲気だけではなく、人間関係も壊しかねません。

■手斧言葉

 手斧(ちょうな)とは、木材を粗削りするための斧のこと。「うるさい」「馬鹿野郎」「殴る」「殺す」といった乱暴な言葉遣いを「手斧言葉」といい、言ってはならない言葉の凶器とされていました。

 ただし、江戸の人たちは、そんな乱暴な返答をされるようなことを自分がしたから、そのつけがまわって来たんだととらえ、「手斧言葉」は言われたほうにも非があると考えていたそうです。

家族

僕、Twitterで一時期「彼女募集中です」って1日1回ツイートしてたんですよ。彼女がいないって、言わないとみんなわからないので(笑)。そうしたら、とあるクラブイベントで女性に「彼女募集してるんですか?」って声をかけられて「じゃあ、付き合いましょう」ってことに。そのまま結婚して、子供まで作りました。これ、ほんと端折ってないですからね。僕の言う基本スタンスの「働きたくないけど、働かなきゃいけない」の一環として、やっぱり家族がいると、それを守らなきゃいけないっていう気持ちになりますよね。ほんとにほんとにダメなときは、家族がいたって嫌なんですけど。でも、家に帰って人がいるとホッとしますし、やっぱり人と一緒にいるのっておもしろいなと思います。

「これはよく言ってることなんですが、『絵を文字にするのが小説、絵を絵にするのがイラスト、文字を絵にするのが漫画、文字を文字にするのが評論』だと思うんです」
コミックトム創刊号(1980年5月号)インタビューより。
答えているのは手塚治虫である。

tumblr上で例えばアルファブロガーのような強いことを述べる存在が現れたとしても、それを reblog して行く存在がなければ彼自身の存在も彼の言葉もひろがらずにただ消えていくだけにしかならない。畏敬をもたれるような強い存在はそういう意味ではこのネットワーク上ではあまり認知されないような気がしている。ここで注目を集めるのは考え方や書くことのセンスではなくFirstClipをするための資質ではないだろうか。

useless:   (via taizooo) (via writerman-js) (via tra249) (via motomocomo)

アド街ック天国で山田五郎氏が大事なことを言った「再開発でビルが建つと家賃が上がって若い人が入れなくなる。古くても家賃が安くて周りの人が良ければ若い人、これからの人、才能が集まってくる。いずれは町お越しにつながる。再開発はただ新しい建物を建てれば良い訳じゃない。」 #tvtokyo

サービス開始当初は、いただける多くのコメントは、
「そんなことあるか(笑」「しかしよく思いつくな」といったように、皆さん「冗談」だと知って楽しんでおられました。
ところがTwitterが流行りだしてから批判的なコメントをいただくことが増えてきて、
私は、いろいろな意味で「冗談の通じない」人たちが増えてきたのだな、と思いました。
「冗談の通じない」人たちは、「冗談が通じない」ゆえに、「冗談が許されない」世界を作ろうとするのです。

言うまでもありませんが、私が書いてきた記事は全てでたらめです。
なぜ私が何年もの間、何の意味もない嘘偽りを書き続けてきたかというと、厄介な正義感のせいかもしれません。
このように「冗談が通じなく」なるほど心忙しい人々に、ほんの少しでもやわらかなユーモアをお届けできないか、と・・・。

ところが、現実は甘くありませんでした。
私が「冗談を続けれ」ば続けるほど、人々の心から「冗談が消え」ていきました。
私なりの不器用な正義感で届けようとした「冗談の数々」が、却って世界から「冗談を奪っ」てしまう・・・。

いつしか私は、私の望まぬうちに、「冗談の仇敵」たる存在へとなっていたようです。
その事実に耐えられなくなりました。


再び『虚構新聞』の記事を書く意欲が湧くまでは更新を休止し、しばらくはこのブログで細々と活動しようと思います。
お騒がせして申し訳ありませんでした。